【大学受験】慶應義塾大学 法学部 過去問<日本史>2018



題 1
以下の文章の空欄 (1) (2) | から (19) (20) 口に入る最も適切な語句を語群より選び, その番号を解答 用紙の所定の欄にマークしなさい。また,文章中の下線部(ア)から(ウ)に関する設問に答えなさい。なお, 文章中の
A から D二は,問題作成上あえて空欄にしたものであり,同じ記号には同じ語句が入る。引用した史料の 原文は適宜改めてある。
「社会あるところ法あり」という法諺も示すように,社会を支え,また社会を映し出す法は,社会の変遷とともに歴史 を重ねてきた。日本の法の歴史は、外国の法を範として法を整備する継受法の時代と,日本独自の展開をみせる固有法の 時代との繰り返しとして把握することができる。
ヤマト政権以前の宗教的民族国家が形成された時代。 法と宗教は未分化であり,呪術宗教的な神法が人心を支配し、 社会を規律していた。共通の祖先をもつと考えられた戸の集合としての氏族において,各氏族の長は,それぞれの氏神の 意思を言ることでその氏族を統率していた。その後、推古朝の時代には,旧来の氏姓制度を一掃し、王権に諸豪族を結集 させることによって権力を集中させるべく,政治の革新がなされた。聖徳太子が制定した官吏の服務規程である十七条の 憲法は、大宝律令以降の法令を集めた (1) (2) の序にある「上宮太子親作憲法十七条 国家制法自弦始焉」 の記述からも,わが国初の成文法として古くから認知されていたことがわかる。 「大化の改新の後には,隋・唐への備欄の高まりを背景に律令制が継受され,さらなる中央集権化が図られた。
(3) (4)を範としつつ, 日本で律と令とがはじめて同時に編纂された大宝律令は,文武天皇の命により新たな 律令編纂の総裁となった (5) (6) らにより完成したものである。律令による政治が行われるようになると、 律令の解釈学の気運が高まりをみせ, 明法家による律令の私配なども多く出された。もっとも,それぞれで示された 解釈がまちまちで不統一であったことから, A の疹撲がなされ,同書に示された解釈が令と同一の効力を 有するものと認められた。これによって律令の解釈の統一化は達成されたものの,逆に律令の研究は活気が失われた。 (7) (8) は,多くの解釈学説がうずもれることを恐れ,私撰の注釈書(9) (10) を集成した。 律令は当時の日本の社会になじまないところを多分に有していたため、国間に適合するよう作り替える努力が重ねられた。 その結果,平安時代に入ると, 律令やその有権的注釈である | A 口を補い,あるいは修正するため、格式のほか不文 の慣習法が多く用いられ,また制符や新制が (11) (12) の形で出された。こうして律令は爽徹し,固有法の時代 へと移っていった。律令制下の官司のひとつで, 官人の監察や糾弾の任にあたっていた (13) (14)|も、律令に 定めのない令外官である検非違使にその役割を取って代わられた。 鎌倉時代から江戸時代までの武家政権のもとでは,新たに武家法が生成・伸張した。鎌倉幕府基本法則である B は,守護・地頭や御家人に関する事項、財産や相続手続、訴訟に関する事項などを内容とする51カ条から成る が、民事紛争の解決の基準を平易な文体で明らかにしたことは,公正な裁断を目指す幕府の誠意の表れといえる。長きに わたって続いたその高い評価と影響力の強さは,(15) (16)が「明月の出るや五十一ヶ条」の句を詠んだのが 450余年の時を経た江戸時代であったことからもうかがえる。 | 鎌倉時代には,武家法のほか,公家法と本所法の法系統があり,それぞれの制定主体が支配する領域ごとに異なる法が 用いられていた。 本所法とは荘園領主の法をいうが、戦国時代になると,この本所法を基盤とした荘園制度は崩壊し、 代わって分園法による戦国大名の領国支配が確立して分権的な封建制度となった。 「安土桃山時代を経て江戸時代に至ると,中央集権的封建国家へと政権が統一再握され,その秩序維持のため法令が整備 された。江戸時代初期には,諸大名のほか, 天皇や公家、あるいは寺社などの伝統的勢力を統制するための法が相次いで 定められた。そのうち, (17) (18) が起草した | は,幕府の朝廷支配のための基本法として幕末まで 機能した。江戸時代後期の法令を代表するのが、画一的かつ客観的な形で奉行の判断基準を明らかにするべく編纂された | D | であり, その下巻は刑事・民事に関する訴訟の先例などが集成されている。
明治維新を迎えると,政府は、天皇を中心とする中央集権国家の確立と近代化に向けて,そして不平等条約の撤廃という 政治課題に対処するべく, 西洋法の継受による近代法典の整備をすすめた。初代司法卿し(19) 1(20)の「誤訳も 赤妨げず、皿通訳せよ」の営には,法地整備を急ぐ姿勢がよく表れている。その後、日本の法律学は,西洋法由来の法令 の骨組みを基礎としつつ、そこに社会の実相を反映させ、また国際化に対応した肉付けをするべく,今日まで歩みを続けて
(設問1)
下深部(ア)に関して,推古朝以前の氏姓制度の時代の説明として最も適切なものを選び,その番号を解答欄 | (21) | (22) 口にマークしなさい。 [at] 『宋書倭国伝には,「其俗挙事行来、有所云為、 郵均骨面上,以占吉凶」との記述があり,3世紀頃の人々が神
の意思を確かめながら生きていたことがわかる。 [02] 熱湯に手を入れ, やけどの有無をみる盟神探湯は,鹿の骨を焼いてひび割れの形をみる太占とともに,真偽を
判断する公式の裁判として行われた。 [03] 氏は、氏上を首長とし,そのもとにある品部や部曲などの氏人から構成されており,家内奴隷である奴婢が氏に
隷属していた。 [04] ヤマト政権を構成する支配層の地位身分を示すものとして,それぞれの氏には大王から姓が付与された。畿内
豪族層には臣や連、地方豪族層には君,慮などの姓が与えられた。 [05] ヤマト政権は,直轄地である屯倉を列島各地の重要地点に多数設置していった。軽井の乱後にヤマト政権に献上
され屯倉となった吉備の白猪は,鉄や銅の産出地であった。
【設問2]
下線部(イ)に関して、荘園の形成からその崩壊, そして分国法の成立に至るまでの事柄に関する説明として誤って いるものを選び, その番号を解答欄」(23) (24)にマークしなさい。
[01] 寄進地系荘園では、荘園の寄進を受けた領主が上級の有力者に寄進することが繰り返され、重層的な支配体系が
生みだされた。そのなかで実質的な支配権をもつ者を本所といい。 不人の特権に基づいて荘園内の事件につき裁判権
を得ていた。 [02] 荘園整理令によって荘園と公領の区別が明確となり,やがて両者が前立的に統治の枠組みとして機能する荘園
公領制が形成された。荘園や公領の領主は、鎌倉幕府の権力の伸張とともに台頭してきた地園に地諏請をするように
なり,土地の支配権が武士へと移っていった。 [03] 荘園領主の政治力の低下ともあいまって、荘園や郷のなかに懲という自治組織が形成されるようになった。惣捉
に基づいて村民自らが犯罪を取り締まり,刑罰を科していたことには、領主の干渉を否定した村民自治の体制が 「あらわれている。 [04] 多くの分国法に特徴的にみられる喧嘩両成敗法は,暴力行為の禁止により領国の平和を実現しようとしたもので
あるが, 戦国大名が理非の判断を独占し、裁判権を掌握するという点からすると,戦国大名の権力の確立を示すもの
といえる。 [05] 『今川仮名目録』にある「只今ハをしなべて自分の力量を以て国の法度を申付け, 静謐する事なれば」との記述
は、当地にあった守護の力を排し,今川氏が領国支配を行う宣言とみることができる。
設問3)
以下に掲げる史料は, 下線部(ウ)の法典のなかにある2カ条および奥付部分の抜粋である。下線部(ウ)の法典また は下記の史料に関する説明として最も適切なものを選び, その番号を解答欄」(25) (26)にマークしなさい。
三十三 借金銀政標之事 - 借金銀 / ... 銅堂金/ 官金 / - 書入金/- 立替金 / - 先納金 右之分, 延享元子年以来之滞ハ。毎月四日一日呼出, 三十日限済方可申付 右日隈之節少々も相済備, | 一ヶ月毎度宛切金ニ為差出, 其上ニ宿済方不埒候ハ>,身鉢限可申付事。 三十四 借金銀取湖定日之事 ー 毎月四日 #一日 右 毎月病度借金銀公事訴訟計承之,裁許可申付事。
(奥付)上聞, 相極候奉行中之外不可有色見者也
注)「日限」一括返済、『切金」分割返済「身駆限」強制執行
[01] この史料にあるように, 返済が滞った借主に対して厳しい刑罰を科すなど、金銭貸借をめぐる紛争の解決に幕府
が積極的に関わるようになった。そのため,これ以降は、貸金の迅速な回収が図られるようになった。 [02] この頃になると、幕府や諸藩は財政難に陥り,家臣の俸禄を減らす動きが広がった。この史料には,貧窮に苦し
んでいた武士の救済手段として, 札差への金銭貸借の捨りを命じた法令に由来する内容が含まれている。 [3] 享保4年の相対済し令は,社会の混乱を招き, 10年後には廃止された。この史料には,金公事の訴えを制限する
かつての方針が否定されたことが示されており,これ以降, 相対済し令が出されることはなかった。 [04] この法典の編墓は,寺社奉行町奉行勘定奉行の三奉行が中心となり,その指揮のもと,評定所の役人が実務的
な作業を担った。この時代, 勘定奉行は,公事方のほか, 勝手方も分業していた。 [05] 江戸時代には各藩の大名に裁判権が認められていたため,幕府の法は各藩での訴訟に直接用いられることは
なかった。しかし,この法典は,各藩からの求めに応じて広く公開されたことから,多くの藩ではこの法則に依拠 した藩法が定められ,裁判規範とされた。
【語群】
01. 按察使
04. 梅謙次郎
05. 永徽律令
OE. 江藤新平
10. 小野草
II. 首親王
02. 以心崇伝
7. 延喜格式 12. 魔位の割 17. 京職 22, 弘仁格式 27, 貞観格式 32. 鈴木正三 37.沢庵宗彭
03. 隠元隆埼 08. 大木喬任 13. 開墾律令 18. 刑部省 23. 五衛府 28, 真観政要
16. 吉備真備
15. 賀茂真淵 20. 草壁皇子 25. 宗直本
21. 元亨釈書
30. 神鑑 -
3. 宣言
26. 佐佐木高行 31. 菅原道真 36, 泰始律令 41, 日本後紀 46. 藤原不比等 51. 中文 56. 与謝蕪村
09. 刑部親王 14.加賀千代 19. 清原夏野 24. 小林一茶 29.続日本後紀 34. 補判下文 39, 天海 44. 藤原時平 49. 箕作麟祥 54. 山田顕義 59. 論旨
42. 日本書紀 47. 松尾芭蕉 52. 本居宣長 57, 令義解
38. 弾正台 43、藤原宇合 48. 松平信綱 53. 山県有開 58, 令集解
35. 太政官 40.唐令拾遺 45, 藤原仲麻呂 50, 明法勘文 55. 養老律令

 


問 題 II
以下の文章の空機 (27) (28) 口から (35) (36)に入る最も適切な語句を語群より選び, その番号を解答 用紙の所定の欄にマークしなさい。また、文章中の下線部(ア)から(女)に関する設問に答えなさい。引用した史料の 原文は適宜改めてある。
人間の営みの歴史には,他者との交流が様々な形で関わっている。近隣との物々交換に始まり,物・人の往来が拡大する につれ、多岐にわたる活動が相互に連関しながら広がってきた。
縄文時代には、近隣の集団にとどまらず、遠隔の集団との交易もなされていた。紀元1~2世紀になると, 中国の 王朝への朝貢も行われるようになっていた。分立する日本の小国の王たちは,報資を通して中国の王朝の後ろ盾を得て、 自分たちの支配の権威づけを図ろうとした。 ヤマト政権から律令国家へと国家体制の整備がすすむにつれ, 中央と周縁の関係の重要性が増していった。白村江の 戦い以降, 防衛政策のため,対馬壱岐に (27) (28)が設けられたと『日本書紀』にも記されている。3年交代 で九州沿岸の防衛を担う防人が派遣され,その一方で,種や講の輸送, 租税制度の一環として電用された人々など、都へ 向かう物・人の流れもあった。これらの流れと並行して,戸籍制度や交通網も整備されていった。
奈良時代以降は、東海道などの七道をはじめとする道路網に加え,本州以外の地方と都を結ぶために必要な海上交通も 整備された。「をとこもすなる日記といふものををむなもしてみむとてするなり」という書き出しで知られる作品は、 国司を務めた著者が陸海高路で都へ帰任する旅を、虚構を交えながら記したものである。古来より旅を読みこんだ詩歌や 紀行文などは数多く生まれていたが、旅そのものを幅広い層の人々が楽しむようになったのは,近世以降といえるだろう。
江戸時代には,陸路の通行や船の建造に制約があり,海外渡航も禁止されていたが,陸上交通や沿岸航路はさらに整備 されていき,物・人の往来は活発化した。たとえば, 東海道も,江戸時代には宿場の風景が大きく変化している。鎌倉時代 中期の『東関紀行』に「ふるさとは 日をへて強くなるみ潟 急ぐ潮干の道ず少なぎ」と詠まれた地は, 歌川広重の浮世絵 のなかでは,名産の織物である (29) (30)の店が並ぶ東海道40番目の宿場町として描かれている。全国各地の 名産品が流通し,江戸や大坂などでも消費されるようになった。天明・寛政年間の江戸では, (31) (22)が開業 した耕書堂などの蔵元が活躍して木版印刷が盛んになり,旅案内, 名所図会, 浮世絵などの情報が多くの人々の目に触れる ようになった。江戸時代末期には,様々なジャンルで番付表が人気を博するなど、多様な情報が物・人の流れをいっそう 促した。また, 寺子屋では,子供用に書かれた道中記を暗誦させる方法が地理教育に効果をあげていた。このような 好奇心や消費活動への意欲は、後年の文明開化を支える土壌になったともいえるだろう。
明治以降には物・人の流れが加速し,それに鉄道が寄与したことはいうまでもない。 鉄道の開業当初は運賞も高かった が、鉄道網が整備されるにつれ, 旅客運賃も下がり多くの人が利用できるようになった。それにともない, 人々が手軽に 楽しめる行楽地・保養地も増加した。たとえば,神奈川県の湘南海岸には海水浴場が開発された。医学教育や衛生行政の 指導に携わったドイツ人医師(3) (34)は,江の島に赴いたときのことを「日本のある役人が海水浴場を設け ようと計画しているので,それに適した場所をそこで探そうと思った」と記している。
日本の国内旅行は、開国以降に日本を訪れた外国人にとっても大きな関心事だった。日本が西洋諸国と結んだ一連の和親 条約, 通商修好条約は日本にとって不平等なものだったが,外国人の日本国内の旅行にも規制が設けられていた。これは、 日本でビジネスチャンスの拡大を図る商工業者にとって大きな足かせとなっていたが, 日英通商航海条約の発効により, この障壁は取り除かれた。
他者との交流のなかでも,とりわけ諸外国との交流は,異なる文化の価値観に触れる機会となり,同時に、自明のこと としてきた自国の文化や価値観について内省する機会を与えてくれる。修史事業に携わっていた (35) (36)|が 「神道は察天の古俗」という論文のなかで合理的ともいえる歴史観を示したのも,彼が政府の使節団に随行して世界各国 を歴訪し,その報告書をまとめた経験と無関係とはいえないだろう。他者との交流から生まれた新しい考え方や価値観を 柔軟に受け止める土壌の大切さを、歴史は伝えている。
(設問1]
下線部(ア)に関して,当時の朝貢関係を伝える中国王朝側の下記の史料を読んで,空欄に入る語句を語群から選び、 その番号を解答欄 (37) (38) にマークしなさい。
建武中元二年、倭の奴国, 貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武彫るに印綬を以てす。 安帝の永初元年、倭の国王帥升等 (37) (38) 百六十人を献じ、請見を願る。」
(設問2)
下線部 (イ)に関して、徴用された人々の置かれた過酷な環境を示す下記の史料『続日本紀』を読んで空欄に入る 語句を語群から選び、その番号を解答欄 (39) (40)]と[ (41) | (42) 口にマークしなさい。
「資聞く,諸国の (39) (40) , 造都に労きて,寮亡すること蓄多し。禁むと離も止まず。」 「西長。 *菌”して”く,宰王の百姓, 四方に浮浪して課役を規避し、遂に王臣に仕へて,滅は | (41) | (42) | を望み,或は得度を求む。」
(設問3]
下線部(ウ)の作品冒顔に続く下記の史料を読んで,空欄に入る語句を語群から選び, その番号を解答綱 | (43) (44) 「にマークしなさい。
「それのとしの師走の二十日あまり一日の日の成のときに, 門出す。その由, いざ かにものにかきつく。
あるひと,算の四年完年はてて,例のことどもみなしをへて, (43) | (44)などとりてすむ館よりいでて、 ふねにのるべきところへわたる。」
【設問4]
下線部(エ)に関して, 寺子屋の教育に着目した福澤諭吉が刊行した子供用地理書は何か。その書名を語群から選び、 その番号を解答欄 (45) | (46)|にマークしなさい。なお,下記の史料は,福澤自身がその書について解説した
ものである。
「世界の地理風俗を知ること江戸の方角地名, 東海道の五十三駅を暗謡するが如くならしめんとの一案を起し、 機に書林に就て江戸方角,都鑑の原本を求め, 幾度も之を熟読暗誦して,乃ち其口調に敏ふて綴りたるものは (45) (46) なり。」
【設問5]
「下線部(オ)に関し, この頃にあった下記(a)から(d)の出来事について, 古いものから年代順に正しく並べた ものを [01] から [12] のなかから選び、その番号を解答欄 (47) (48)にマークしなさい。
(a) 新橋・日本橋間に鉄道馬車が開通した。 (b)東京・横浜問に電信回線が敷設された。 (c) 改暦が行われ,定時法が採用された。 (4) 日本で最初の日本語による日刊新聞が横浜で刊行された。
[01] (a)→(b)→(d) → (c) [02](a)→ (c)→(b) →(d) [03](a)→(d)→(c)→(b) [04](b) → (a)→(d)→(c) [05](b)→(c)→(a)→(d) [06] (b) →(d)→(c)→(a) [07] (c)→(a)→(b) →(d) [08] (c) → (b)→(d)→(a) [09] (c)→(d)→(a)→(b) [10] (d)→(a)→(b) → (c) [11] (d)→(b)→(c)→(a) [12] (d)→(c)→(a)→(b)
【設問6) 「下線部(カ)の条約の一部である下記の史料を読んで空欄に入る語句を語群から選び, その番号を解答欄 (49) (50) 口にマークしなさい。
第十五条 両締盟国ハ其一方ノ適商及ヒ航海ヲ他ノ一方ニ於テ総テ」(49)
(50)|ノ基礎ニ置ク主意ヲ有スルニ因リ通商
及と航海ニ関スル一切ノ事項ニ関シ其一方ヨリ別国ノ政府, 船舶, 臣民成・人民ニ現二許興シ就い将来許興スヘキ 一切ノ特典。装週若々ハ免除・他メー方政府, 船舶, 臣民或い人民ニモ即時に耳ツ条件ヲ附セスシテ之ヲ許興スヘキ コトヲ両締盟国二於テ約定ス
【語群)
01. 有松絞 06. 近江席
02. 位封
4.役民
5.
衛士
7. 鬼ノ城
3. 磐舟種 38. 給人 13. 調蒙窮理解
11. 季禄
12、久米邦武
17. 神籠石
18. 功田
16. 恋川春町 21. 掛戸 26. 資人
22. 山東京伝 27. 仕丁
09. 協定関税 10.居留地 14. 下戸
15. 解由 19. 国街 20. 最恵国 24. 職対
25. 重野安繹 29. 島地黙雷 30. 首書絵入世界都路 34. 西洋事情 35. 西洋旅案内 39. 田口卯吉 40. 近松半二
45.内地開放 49.奈良屋茂左衛門 50. 西陣
31.掌中万国一覧
23.職田 28. 次丁 3. 生口 38. 大人 43. 蔦屋重三郎
2.新訂方国会図
36. 世界国尽
41. 中男
37. 大黒屋光太夫 42.勅 47. ナウマン 2. 文明論之概略
46. 内地雑居
48.長与専斎 53. 幣 58. 水城
55, ベルツ
51. ブルベッキ 56. ホフマン

57. 三河木綿
59. 美濃部達吉
60. ミルン
61. モース
62. 友禅染
63. 寄騎
64.譲事裁判
65. 和与

 


問題 I
以下の文章の空欄 (51) (52) から | (67) (68) 口に入る最も適切な語句を語群より選び, その番号を 解答用紙の所定の欄にマークしなさい。また,文章中の下線部(ア)から(ウ)に関する設問に答えなさい。なお、 | || \|は,問題作成上あえて空欄にしたものである。
日本は,非西洋社会のなかで,いち早く近代化・産業化を遂げ, 政治・経済・文化などで大きな変化を経験してきた。 表面的にみると、江戸時代と明治以降には,社会の多くの画面で断絶があるが、江戸時代までの日本の経済・社会の動向 が明治以降の日本の工業化, 経済発展を可能にした側面がある。現に大正初期の東京には、江戸時代の要素が色濃く残って いた。たとえば、雑誌『三田文学』を創刊し、編集主幹として関わった (51) | (52)|は、大正初めの東京の下町 や路地を好んで歩き, 松 銀杏,柳桜などの樹木, あるいは庶民が生活する路地のなかの住居の造りや道具立てを通して、 江戸時代から続く東京の美、芸術を捉えようとした。 江戸時代の社会では,土地に物的生産の基礎が置かれ,統治の面でも土地の領有と支配が最も重要であった。江戸時代の 社会が経済成長を遂げる上で, 農業生産力の上昇とそれを可能にする農業技術の改良は,きわめて重要な要素であった。
新しい農業技術や用具を解説する農書も数多く出版され,たとえば,土屋又三郎が書いたものに『 (53) (54) | がある。農業の生産性を高めるため、肥料が多く用いられ、稲の害虫駆除には (55) (56)が使用された。また。 商品作物も多く栽培されるようになった。
江戸時代初期には、多くの新田や耕地が開発された。都市を水害から守り,平野部を穀倉地帯へと作り替えるため、 河川改造が江戸時代を通じて盛んに行われた。井沢弥惣兵衛は,河川を直線化して, 谷口から河口まで連続する堤防を
作り,河川沿岸の収穫が不安定な地域を新田として開発した。井沢弥惣兵衛が用水路とともに開発した新田として, | (57) | (58)|がある。こうした大規模な開発は,人口増加を可能とし、都市の発展をもたらした。
その反面、様々な土木事業部市開発,人口増加は、建設需要を高め,大規模な森林破壊を引き起こした。陽明学者で あり,その著書で幕政を批判した (59) (60)|は,こうした状況を憂い, 森林再生のための伐採抑制や植林を 説いた。その後、大規模な森林破壊は山の保水力を弱め、流出した土砂が洪水の原因となり災害を生むという認識から、 幕府や藩も民衆の森林伐採を制限するようになった。幕末から明治期の木曽地方を舞台とした (6) (62)」の文学 作品は,山林と人々の営みを主題とし,当時の藩や明治政府がいかに人々の森林利用を制限してきたかを克明に描いている。
国内の産業や経済に対する影響という点で, 鎖国の果たした役割を考えることも重要である。外国との交流 交通を 建断した鎖国は, 日本を世界から孤立させ, 日本の近代化を遅らせたという否定的な評価もあるが, 日本の産業の保護・ 育成に貢献したという見方もある。その典型に,生糸と綿織物の生産がある。17世紀初頭の日本では,生系が最大の輸入 品目であり,良質の生系が中国から輸入されていた。 生糸輸入の対価として輸出されていたのが,銀であった。しかし, 良質な綿織物に対する需要の増大から,多くの生系が輸入され,銀が大量に国外へと流出する結果を招いた。このことを 憂慮した幕府は | (63) (64) |により,いったん廃止していた糸割符制度を再興し、貿易限度額を大きく制限した。 最大の貿易品目であった生系の輸入が制限されることで、国内では生糸と絹織物の生産が発展した。
江戸時代は、農業生産活動だけでなく,非農業分野の生産活動の発展によっても特徴づけられる。しかし,江戸時代の 年貢制度は,米を中心とした農業生産物に課税し、非農業生産物に対する課税額は少なかった。江戸時代の学者のなかに は,貨幣, 商業。非農業生産活動を懇極的に評価し,それらを落や幕府の財政に取り込む提案が見られる。萩生の門下 であった | X]は, F (65) | (66)]』という著書において,土地の特産物を販売することで支配者が利益を 得るために,藩専売制を唱えた。このような提案もあり,諸藩は,悪化する財政を立て直すために, 市場性のある商品 の生産と流通から得られる利潤に目をつけ,次第に藩による専売が盛んになっていく。専売制度は, 特産物を生産者や 商人が自由に販売することを認めず, 藩が有利な価格で独占的に買い占めて、それを外に販売する仕組みであった。
商品流通の全国的な展開には,貨幣制度の発達が重要である。江戸時代には当初, 金,銀, 銀の3つの通貨があった。 金貨と銀貨では,金額の数え方が異なり,前者は計数貨幣であるのに対し,後者は秤量貨幣であった。それらの統合を 目指して, 計数貨幣として江戸時代に最初に発行された銀墳が、 (67) (68)である。ただし, 本格的に流通した のは,その後発行された日 である。
【設問1]
下線部(ア)に関して, 顕国をめぐる(a)から(e)の政策を古いものから年代順に正しく並べたものを [1] から [18] のなかから選び, その番号を解答欄 (69) (70) 「にマークしなさい。
(a) 長崎郊外に唐人屋敷が設置された。 (b) 朱印船貿易が廃止された。 (c) 出島にオランダ商館が移された。 (d) 老中奉書の所持が海外渡航の船に命じられた。 (e) 糸割符制度が廃止され,相対貿易に移行した。
[01] (a)→(b)→(e)→ (c)→(d) [02] (a)→ (c) → (d) (e) (b) [02] (a)→(d)→(b) → (c)→(e) [04] (a)→(e) →(b) (c)→(d) [05] (b) →(a)→(d)→(c) → fe) [06] (b)→(a)→(e)→ (d)→(c) [07] (b) → (c)→(d)→(a)~(e) [08] (b)→(d)→(a)→(c)→(e) [09] (b) →(d)→(c)→(e) →(a) [10](c)→(a)→(d)→(b)→(e) [11] (c)→(b) →(d)→(a)→(e) [12] (c)→(d)→(b)→(a)→(e) [13] (c) →(e)→(d)→(a)→(b) [14] (d)→(a)→(b)→(e)→ (c) [15](d) -- (a)→(e)→(b) → (c) [16] (d)→(b)→ (c) → (e)→(a) [17] (d)→(c)→(a)→(b)→(e) [18] (d)→(c)→(s)→(e)→ (a)
(設問2)
下線部(イ)の銀の製造において,当時, おもにどのような方法が用いられていたか。最も適切な語句を語群のなか から選び、その番号を解答欄」(71) (72)にマークしなさい。
【設問3] 「下線部 (ウ)にある幕府や藩の財政や江戸時代の経済について説明する以下の文章を読んで、誤っているものを選び、 その番号を解答欄(73) (74)にマークしなさい。 [01] 江戸では金貨を中心に取引され,大坂では銀貨を中心に取引されていたため、江戸と大坂の間の商品の流通に
は,両替商が大きな役割を果たした。 [02] 江戸時代を通じて、非農業分野の生産の大半は大都市の職人によって行われ, 農村部は農業生産に特化するという
分業体制が進展した。 [03] 幕府による統一貨幣の流通量が十分でなく、藩財政の窮乏を救うために, 藩札が各地で発行された。 [04] 田沼意次は、幕府の財政の行き詰まりを打開するために,各地の特産物が生み出す富を幕府財政の財源に取り込む
べく,専売制を実施した。 [05] 水野忠邦は、各地の特産物を藩による専売とすることが物価の高騰をもたらしたとして、天保の改革のなかで
落専売制の禁止令を出した。
【語群]
01.

02.相対貿易仕法
3.会津濃書
4.川龍之介
05.油箱
06. 安政小判
37.飯沼新田
08. 泉鏡花
99. 伊藤仁斎
10. 上田戦
11. 尾崎紅葉
12. 海舶互市新例
13. 川口新田
14. 北村透谷
15.己西約冬
16. 久保田万太郎
17. 熊沢蕃山
19. 経済要録
20. 経済録拾遺
18. 稽古談 23. 慶長豆板銀
21. 経世秘策
22.慶長丁銀
24.

25、広益国産考
26. 期稼春秋
27. 鴻池新田
28、混未法
30 佐藤春夫
29、定高置易仕法 34. 区箱
31. 紫雲寺方潟新田
32.市法貨物商法
33. 島崎藤村
35. 正徳小判
36. 除虫菊
38、政蔵
39、清良記
37. 西域物語 42. 谷時中
40. たたら 45. 天保一分銀
41. 谷崎潤一郎
43. 田山花袋
44. 藤新田 | 49. 中江藤樹
46. 徳田秋声
47. 徳富蘆花
50.滴灌
48、永井荷風 53. 敏粕
51. 菜種
54. 農業全書
52. 南二朱銀 57. 野中兼山
55.農具便利論 60 吹墨技法
56. 農政本論
58.灰吹法
59. 場所請負制
61. 紅花
62、干露
63. 正宗白鳥
64. 見沼新田
5. 武蔵野新田
66. 室蔓葉
67.
和五灯銀
68, 森鴎外
69. 山鹿素行
70. 山崎闇斎
71, 老農夜話

 



題 N
以下の史料および解説文を読んで、空機 (75) (76) 目から(87) (88) 口に入る最も適切な語句を語群 より選び, その番号を解答用紙の所定の欄にマークしなさい。また, 史料および解説文にある下線部(ア)から(力)に 関する設問に答えなさい。引用した史料の原文は適宜改めてある。
【史料A)
私の父は信州松代の旧藩士の一人でありまして、(中略) 明治六年頃は松代の区長を致して居りました。それで信州 新聞にも出て居りました通り、(中略)一区に付き何人(たしか一区に付き十六人)十三歳より二十五歳までの女子を | (75) (76) 口へ出すべしと申す県庁からの達しがありましたが、人身御供にでも上るように思いまして一人も 応じる人はありません。(中)やはり血をとられるのあぶらをしぼられるのと大評判になりまして、中には「区長の 所に丁度年頃の娘が有るに出さぬのが何よりの証拠だ」と申すようになりました。それで父も決心致しまして, 私を出す ことに致しました。
(史料B]
夜業の衛生上有害なることも疑いなし。(中略)徹夜業は一般職工の堪えがたき所なるを以て、夜業には欠勤者多く、 操業上必要なる人員を欠く場合多し。ここにおいてか昼業を終えて帰らんとする職工中につき居残りを命じ, ついに翌朝 に至るまで二十四時間の立業に従事せしむること往々これあり。甚だしきに至りては,なおこの工女をして翌日の昼業に 従事せしめ,通して三十六時間に及ぶことまた稀にこれなしとせず。開女少年者にして安 安永くかかる不規律なる労働 に堪ゆべけんや。久しからずして不治の疾病に陥るもの固よりそこなり。
(史料C)
余響て桐生足利の機業地に遊び聞いて極楽。 観て地獄。 職工自身が熱かく口にせると同じく余も新た其の境遇の悲しき を見て之を案外なうとせり,[中略] 労働時間の如き, 忙しき時は朝床を出で直に業に服し,複業十二時に及ぶこと締 ならず、食物はワリ麦六分に米四分, 寝室は摩小屋に類して酸菌見るべからず、特に驚くべきは、其地方の如き業務の 園なる時は復た期を定めて奉公に出だし、取得は雇主之を取る, 面して一ヶ年支払ふ賃銀は多きも二十円を出でざるなり。
史料Aは, (75) (76) |に出仕することとなった経緯を記した。 ある女性の回想録の一節である。産業の近代化 を目指す新政府により,官営模範工場として開業した (75) (76) には,おもに士族出身の若い女性たちが全国 各地から集められた。彼女たちは,西洋式の技術を身につけて出身地に戻り,各地方でその普及に努める伝習工女として の役割が期待された。 | (75) (76) 日を模倣し,西洋式を取り入れて, 日本独自の改良を加えた新たな技術による工場が各地の農村 地帯に誕生した。そうした工場に伝習工女が招かれ、彼女たちは技術指導にあたった。新たな技術による生産高が在来 技術による生産高を上回るまでに発展し,ついには, この生産物の輸出規模が世界第1位となった。官営模範工場 として技術の改良・普及に貢献した (75) (76) | であったが、創立以来、経営は困難を極め、 後年、入札を 経て (77) (78)」に払い下げられた。 急激に加速する工業化の陰で、賃金労働者、特に年少者や女性は劣悪な労働環境に置かれた。史料Bは,当時懸案だった
(79) | (80)]の基礎資料とするために | (81) (82)|が調査し、取りまとめた『 (83) (84) 』から 一部を引用したものである。特に深夜業。長時間労働は大きな社会問題であった。同書で指摘された問題は,史料Cに
見えるとおり,毎日新聞の記者であった (85)」(86)も自著のなかで明らかにしていた。 (85) (86)|は、 その自著において「東京の就民状態」「手工業の現状」などを克明に描き、「今日政治社会の腐敗を輝厳し,平民政治を 開きて下層社会の幸福を謀らん」と訴えた。
労働環境の改善を求める声は、争議行為へと展開した。日本最初の同盟罷業(ストライキ)は女性労働者によるもの だったという。高揚する労働運動に対して, これを抑制しようと、 (87) (88)が制定された。そして、労働 運動の台頭を防ぎたいという悪感もあり, (79) (80) が成立したが、内容に不満を持つ財界の反対を受け、 成立から施行までに5年を要した。
(設問1)
下線部(ア)に関して、明治初期の地方制度についての記述として誤っているものを選び,その番号を解答欄 (89) (90)にマークしなさい。
[01] 戸籍法により,戸籍事務を管掌するための新しい区が設置された。 [02] 各府県の下に, 数町村を包摂する小区と,数小区を統括する大区が設けられた例が多い。 [03] 大区の長には公選の区長が就き,戸籍整備や微税教育などの事務を管掌した。 [04] 大区・小区に関する制度は郡区町村編制法により廃止され, 書村が地方の正式な最小行政単位となった。 [05] 小区の長であった戸長は,郡区町村編制法の下で当初、公選となり,各町村または数町村に1名ずつ置かれた。
『設間2] 「次の(a)から(d)は,当時の世相を反映することばとして,よく知られている。これらのうち, 下線部 (イ)の 「この生産物の輸出規模が世界第1位となった」年よりも前に起きた出来事に関することばをすべて挙げた場合,最も適切 な組み合わせはどれか。[01] から [10] のなかから選び, その番号を解答欄(91)|(92) 日にマークしなさい。
(a) 元始女性は太陽であった (b) 竹槍でちょいと突き出す二分五厘 (c) 臥薪嘗胆 (d) 君死にたまること知れ
[01](a)と(b) [4] (b)と(c) [OT] (a)と(b)と(c) [10] (b)と(c)と(d)
[02] (a)と(c) [05] (b)と(d) [08] (a)と(b)と(d)
[03] (a)と(d) [06] (c)と(d) [09] (a)と(c)と(d)
【設問3]
官営模範工場の多くは, 下線部(ウ)のように,明治年間のうちに民間への払下げが行われた。他方で,民間への 払下げが行われなかった場合もある。官営模範工場のうち,明治年間のうちに民間への払下げが行われなかった施設を 語群より選び, その番号を解答 (93) | (94) 口にマークしなさい。
下線部(エ)に関して,社会, 労働, 生活問題と女性運動についての出来事を説明した次の(a)から(d)の 各記述について, 古いものから年代順に正しく並べたものを [1] から [12] のなかから選び, その番号を解答欄 (95) (96)にマークしなさい。
(a)大阪府西成の紡績工場で働く多数の女性労働者が,米価騰貴を理由に賃金引上げ等を要求して職場を放棄した
ところ,工場側の賃上げ約束を受けて収束した。 (6) 栃木・群馬両県にまたがる渡良瀬川流域で発生した鉱毒被害救済のために, 矯風会鉱毒地救済婦人会を設立
した。その数日後には, 樹木県選出の衆議院議員が辞職した上で天皇直訴を試みた。 (c) 折からの米価騰貴を受けて, 富山県西水橋町では,漁民の妻女らが米屋や資産家に対して米の移出禁止や安売り
を嘆願する騒ぎとなり、数日後の全国各紙に「越中女房一揆」と報じられた。 (d) 山梨県甲府の製糸業者が同業組合を結成し, 働く工場を選ぶ女性労働者の自由を厳しく制限する規約を定めたこと
に対して,多数の女性労働者が抗議し,職場を放棄した。
[01] (a)→(b) → (c)→(d) [04] (b)→(a)→(d)→(c) [07] (c)→(b)→(a)→(d) [10] (d)→(a)→(b)→(c)
[02] (a)→(b)→(d) → (c) [05] (b)→(c)→(a)→(d) [08] (c) → (d)→(a)→(b) [11] (d)→(a)→ (c)→(b)
[03] (a)→(d)→(c) → (b) [06] (b) → (c) →→ (d)→(a) [09] (c)→(d)→(b)→(a) [12] (d)→(c)→(a)→(b)
【設問5]
下線部(オ)に関して、制定当初の (87) | (8) 解答欄 (97) (98)にマークしなさい。
についての記述として最も適切なものを選び, その番号を
[01] 学校の教員は,所属校が官立・公立である場合に限り,敬治結社に加入することが禁止された。 [02] 何人も,私有財産縛度を否認する目的を持った政治結社に加入することが禁止された。 [03] 女子は政該集会に参加することができたが,その発起人になることは許されなかった。 [04] 男子であっても,未成年の場合には,政議集会に参加することも,その発起人になることも許されなかった。 [05] 安寧秩序を保持するために必要な場合であっても,警察官に屋内の集会を解散させる権限は認められなかった。
【設問6]
下線部(力)に関して, 制定当初の (79) | (80) についての記述として誤っているものを選び、その番号を 解答欄 (99) (100)にマークしなさい。
[01] 適用対象は,常時勤務する労働者の数が10人以上の事業所であった。
[02] 12歳未満の幼年者を雇用することが禁止された。 [03] 15歳未満の者と女子の就業時間は、1日あたり12時間以内に制限された。 [04] 15歳以上の男子の就業時間については,特に制限されなかった。 [05] 15歳未満の者と女子を午後10時から翌朝午前4時まで就業させることが禁止された。
01. あ野麦峠
02. 愛知紡績所
05. 大蔵省
03. 浅野総一郎 08. 自崎正蔵
04. 大井憲太郎 09. 官報
06. 片山潜
10. 工場法
07. 貨幣法 12. 工部省
11. 幸田露伴
13. 国民之友
14. 最暗黒の東京」
15. 堺紡績所
16, 札幌麦酒醸造
17. 産業組合法
18. 時代閉塞の現状
19. 品川硝子製造所
20. 渋沢栄一
21, 島田三郎
22.集会政社法
23.集会条例
24. 商工省
25. 商法
26. 女工哀史
27、織工事情
28. 新町紡績所
29. 住友
30. 千住製被所
31. 造船奨励法
32. 高野房太郎
33.治安維持法
34. 治安警察法
35. 中央公論
37. 内務省
38. 長崎造船所
39. 日本人
40, 農会法
36. 富岡製糸場 4.農商務省
42. 農林省
43. 白書
45. 兵庫造船所
44. 確口一葉 49. 古河市兵衛
46. 広島紡議所
47. 深川セメント製造所 48. 二葉亭四迷
50. 細井和喜蔵
SI, 松原岩五郎
52. 三田育種場
54. 三菱
3、三井 58. 山本茂実
55. 民部省 60. 労働基準法
56. 安田
57, 山本作兵衛
9. 横山源之助
61. 労働組合
62. 労働世界