【大学受験】関西学院大学 全学部日程(2/2)過去問<日本史>2018


[I] 次の1~10の文章について、a・bともに正しい場合はアを、aが正しくbが誤っている場合は イを、aが誤りでbが正しい場合はウを、a・bともに誤っている場合はエをマークしなさい。
1.a. 旧石器時代には漁業が盛んに行なわれ、この時代の遺跡から釣り針や話として用いられた骨
角器や、丸木舟が出土している。 5.縄文時代の終わり頃になると、細石器とよばれる小型の石器が、矢じりとして使用されるよ
うになった。
2.a.古墳時代中期の5世紀には、それまでにない規模の巨大古墳が築かれた。大阪府の大仙陵古
境や誉田御廟山古墳は、その代表的事例である。 5. 子申の乱の後に即位した天武天皇は、中国の都城にならって大極殿や朝堂院を備えた藤原京
を完成させて遷都し、新しい国家作りを行なった。
13.a. 奈良時代には、新しい技法による仏像が多くつくられた。東大寺の日光・月光菩薩像に代表
される塑像は、木芯に粘土を塗り固めて作製されている。 b.国風文化の時代には、和歌がさかんになる一方、『竹取物語』や『伊勢物語』など、かな文
字を用いた物語も登場するようになった。
4.a. 院政の時代には、荘園の寄進が院の周辺に集中するようになり、八条院領や長講堂領などの
荘園群が形成された。 b. 源頼朝は、朝廷から与えられた知行国である関東御分国と、平家没官領などからなる関東御
領と称する大量の荘園を有した。
5.a. 室町幕府の地方組織である鎌倉府は、京都の幕府と同様の機構をもち、その支配地域は関東
8か国と駿河遠江であったが、のちに陸奥・出羽にも及んだ。 b. 鎌倉公方足利尊氏の子持氏の子孫が世襲したが、6代将軍義教は幕府に反抗的な鎌倉公方
足利基氏を討ち滅ぼした。
6、a.琉球王国は明の冊封を受けて朝貢貿易を行なったが、島津家に支配された後は日本の将軍に
謝恩使を送るようになり、明との朝貢貿易は途絶した。
b.江戸時代には対馬藩主の宗氏を介して朝鮮との国交が結ばれ、朝鮮からはたびたび使節が来
日した。この使節は第4回以降、通信使と呼ばれた。
7. a, 松平定信は、柴野栗山らを登用して湯島聖堂教育機関として充実させた。また、朱子学
外の学問を聖堂の学問所で教えることを禁じた。 b. 18世紀には、人材育成のために藩校の設立がさかんとなった。広瀬淡窓がひらいた豊後日田
の成立園は、この時代に設けられた藩校の代表的事例である。
8. 2,天保期、陽明学者の大塩平八郎が大阪で起こした反乱は短期間で鎮圧されたが、越後の陣屋
が襲撃された生野の変など、それに呼応した事件が各地で起きた。 b.八月十八日の政変では、朝廷の尊王攘夷路線を主導していた三条実美らの公家や長州藩勢力
が、公武合体派の公家や薩摩藩会津藩などによって京都から追放された。
9.2. 日清戦争後、第2次伊藤博文内閣は自由党と提携し、自由党党首である板垣退助外務大臣
として入閣させた。 b. 第2次伊藤内閣に続く第2次松方正義内閣は、進歩党と提携して党首である大隈重信を内務
大臣として入閣させた。
10. 2. 朝鮮戦争の勃発後に設立された保安隊は、やがて警察予備隊を経て自衛隊に改組された。 b. 鳩山一郎内閣は、日本の国際連合加盟に反対していたソ連と、日ソ共同宣言に調印して国交
を回復し、国際連合加盟への道を切り開いた。

 


[I] 次の文章島・Bを読んで設問に答えなさい。もっとも適当な選択肢を一つマークしなさい。
A. 鎌倉時代には麦を裏作とする二毛作畿内から西日本に広がった。農産物や手工業品を売買す る。定期市も生まれ、月に3回開かれることもあった。
室町時代には、二毛作が全国に広がり、一部の地域で三毛作が始まるなど、農業はさらに発 展した。また、商工業なども発達し、遠隔地間の商業取引も活発になった。貨幣経済の発達 によって金融業も促され、 | |[6]が金融業者として活動した。
【設問】 1. 下線部1の鎌倉時代の定期市に関して、正しいものを下記より選びなさい。なお、すべて誤って
いる場合は「エ」をマークしなさい。 ア, 定期市では、おもに三都の商人が活動した。 イ. 定期市では、常設の店舗で和紙や絹織物などの品々が売買された。 ウ、『一遍上人絵伝」には備前国の福岡の市が描かれている。
2. 下線部の室町時代の農業の発展に関して、正しいものを下記より選びなさい。 ア, 稲の品種が改良され、早稲・中稲・晩稲の作付けが普及した。 イ. 購入肥料である金聞が全国に広く普及した。 ウ, 農業技術を解説した書籍である農書が農業の発展に寄与した。 エ, 三毛作は関東地方を中心に始まり、全国に普及した。
3.下線部の具体例として、誤っているものを下記より選びなさい。 ア、塩田では、従来の揚浜法に加え、一部で入浜法(古式入港)も見られるようになった。 イ, 漁業が発達し、紀伊や土佐などで捕鯨が、蝦夷地では昆布や俵物の生産が、さかんになった。 「ウ,大山崎の油座や北野社の鎮座など商工業者の同業組合である座が活躍した。
エ, 定期市の開催回数が増え、月6回開かれるようになった。
4. 下線部の遠隔地間の商業取引の発展に関して、誤っているものを下記より選びなさい。なお、
すべて正しい場合は「エ」をマークしなさい。 ア、瀬戸内海や日本海沿岸の航路が発達し、廻船が行き来して商品の輸送や売買を行った。 イ. 遠隔地の取引において、商人の間で割符という為替手形の使用がさかんになった。 ウ、陸路では馬借や事情が運送業に従事した。
B. 江戸時代の経済の発展は著しく、陸上交通や河川・海上交通それぞれで交通路や施設の整備 があった。三都と呼ばれる江戸・大坂・京都は、世界有数の大規模都市に発展し、経済活動の 中心となった。また、地方でも、「 日の酒、「D口の醤油、Dの漆器など諸産 業が発達した。これらの経済活動を支えたのが貨幣であり、徳川幕府によって全国的に通用す る日本独自の貨幣が造られた。商業活動を正当化し商人の存在意義を主張する心学という思想 が、 13 によって生み出された。
【設 問 6.下線部のの陸上交通に関して、誤っているものを下記から選びなさい。 ア、東海道中山道甲州道中・日光道中奥州道中五街道が整備され、幹線道路となった。 イ, 五街道の管理は諸藩の道中奉行が担当した。 ウ,幕府や大名・旗本などの御用通行では、入馬は無料あるいは一般の半額程度で徴発された。 エ、公用の文書や荷物の継送りなどのために、宿駅には問屋場が置かれた。
7. 下線部の三都に関連して、誤っているものを下記から選びなさい。 ア, 江戸には十組問屋、大坂には二十四組問屋といった問屋仲間の連合組織が結成された。 イ. 三都および長崎・横浜の特権商人は生糸貿易を独占し、五ヵ所商入と呼ばれた。 ウ、大坂天満や江戸神田の青物市場など卸売市場が発達した。 エ、京都には呉服商など大商人の本拠地が多く存在し、西陣織などの手工業生産も発達した。
8.空欄D・D・11に該当する地名として、正しい組合せを下記から選びなさい。 ア. 摂津灘・D下総野田・能登輪島 | . O播磨龍野・O摂津灘・1能登輪島 ウ、 摂津灘・D播磨龍野・D下総野田 エ.O摂津難・下総野田・D加賀九谷
9.下線部32に関連して、誤っているものを選びなさい。 ア. 金貨の単位は「両・分・朱」、銀貨は「貫・列・分・塵・毛」、銭貨は「賞・文」であった。 イ, 17世紀後半から、諸藩は領域内で通用する藩札を発行し始めた。 ウ、18世紀後半、幕府は銀中心の貨幣制度を目指して、南鎌二朱銀という計数銀貨の運用を始めた。 エ, 東日本ではおもに金貨による金遣いが、西日本では銀貨による銀遣いが中心であった。
10. 空欄13に該当する人物として、正しいものを下記から選びなさい。
7. 中沢道二イ、石田梅岩 ウ山片 桃 エ、富永仲基

 


[I] 次の史料A・Bを読んで設問に答えなさい。もっとも適当な選択肢を一つマークしなさい。なお
史料は一部書き直したり、省略したところがあります。
一、諸国守護人奉行の事
右、右大将家の御時定め置かるる所は、大番催促・謀叛・殺害人(付たり。夜討・強盗・山賊・ 海賊)等の事なり。前るに近年、代官を郡郷に分ち補し、公事を主保に充て課せ、 口に 非ずして国務を妨げ、[ ]に非ずして地利を貪る。所行の企て甚だ以て無道なり。抑重代 の御家人たりと離も、当時の所帯無くば眠り催すに能はず。兼て又所々の下司庄官以下、其の名 を御家人に仮り、 口・領家の下知を対押すと云々。然るが如きの量、 「役を勤む べきの由、縦ひ望み申すと離も、一切催を加ふべからず。早く右大将家御時の例に任せて、大番
役拝に謀叛・殺害の外、eコの沙汰を停止せしむべし。 一、御下文を帯すと離も知行せしめず、年序を経る所領の事
右、当知行の後、二十ヶ年を過ぎは、大将家の壁に任せて理非を論ぜず改替に能はず。面るに
知行の由を申して御下文を掠め給はるの輩、彼の状を帯ぶると難も叙用に及ばず。 一、女人養子の事
在、法意の如くばこれを許さずと雖も、大将家御時以来当世に至るまで、其の子無きの女人等、 所領を養子に譲り与ふる事、不易の法勝計すべからず。加之、都郡の例先避憧れ多し。評議の処 「尤も信用に足るか。
(『御成敗式目)
【設問】 1. 下線部aが指す人物を下記より選びなさい。 「ア、北条泰時 イ. 源実朝 ウ, 北条時宗
エ, 源頼朝
2.下線部bの内容として誤っているものを下記より選びなさい。 ア. 任命された地域の費税
イ、殺人を犯した者の逮捕 ウ、天皇・院の御所の警備
エ、謀反を起こした者の逮捕
3.空欄c+d:eに該当する語句の組合せとして、正しいものを下記より選びなさい。 「ア.c:守護 :地頭 e:国司 イ, c:国司d : 地頭 e:守護
ウ, c:御家人 d:国司 e:地 , c:御家人 d:守護 e:地頭
4. 下線部fの内容として正しいものを下記より選びなさい。 ア. 支配を認められてから20年経過した土地は、権利の正当性の審査を受けたうえ、改めて支配の
当否を判断する。 イ, 支配を認められてから20年経過した土地は、権利の正当性の有無を問われることなく支配を継
続できる。 ウ、現実の支配を行ってから20年経過した土地は、権利の正当性の審査を受けたうえ、改めて支配
の当否を判断する。 エ, 現実の支配を行ってから20年経過した土地は、権利の正当性の有無を問わず、支配を継続させ
5.下線部gの内容として正しいものを下記より選びなさい。 ア,武家のしきたりとして、子の無い女性が所領を養子に譲ることは決して珍しくなかった。 イ. 武家のしきたりとして、女子を養子にして自らの所領を譲ることは決して許されなかった。 ウ、武家のしきたりとして、子の無い女性が所領を養子に譲ることは決して許されなかった。 エ、武家のしきたりとして、女子を養子にして自らの所領を譲ることは以前は認められていたが、
現在は禁止されている。
摂家たりと雖も、其器用無きは、三公摂関に任ぜらるべからず。況んや其外をや。
武家の官位は、公家当官のj口為るべき事。 一、関白・伝奏弁びに奉行職事等申し渡す儀、堂上・地下の霊相背くにおいては流罪たるべき事。
紫衣の寺、住持職、先規希有の事也。近年擦りに1日の事、目は藤次を乱し、旦は官 寺を汚し、甚だ然るべからず。向後に於ては、其器用を撰び、......申し沙汰有るべき事。 右、此旨を相守らるべき者也。
(『御当家令条』)
【設 問 6.空欄hに該当する文を下記より選びなさい。 ア, 一宗法式を存ぜざるの僧侶、寺院住持為るべからざる事。 イ. 文武忠孝を励し、礼儀を正すべきの事。 ウ、諸社の購宜・神主等、専ら神祇道を学び、其の敬所の神体いよいよ存知すべし。 ニ,天子諸芸能の事、第一御学問也。
7. 下線部iに該当する語句の組合せを下記より選びなさい。 ア、左大臣・右大臣・参議
イ、摂政・関白・武家伝奏 ウ、太政大臣左大臣・右大臣 エ、議定・参与・貢士
8.空欄i・1に該当する語句の組合せを下記より選びなさい。 ア、j: 1:退位
イ, j:外 1:勅許 ウ,j:内 1:勅許
ズ、j:内 1:退位
9.下線部kに関連して、紫衣事件の説明として正しいものを下記より選びなさい。
ア、幕府に抗議した大徳寺沢庵らが処罰され、後水尾天皇が即位した。 イ、幕府に抗議した後水尾天皇が処罰され、明正天皇が即位した。 ウ、幕府に抗議した武家伝奏が処罰され、光格天皇が譲位した。 エ、幕府に抗議した大徳寺沢庵らが処罰され、後水尾天皇が譲位した。
10. この史料が出された年に最も近い年の出来事を下記より選びなさい。 「ア, 大坂冬の陣 イ、糸割符制度の創設 , オランダ商館の出島移転
, 明暦の大火

 


[N] 次の文章A・B・Cを読んで設問に答えなさい。もっとも適当な選択肢を一つマークしなさい。
A. 天智天皇は父寄明天皇と母0罰との間に生まれた子で、同父母の弟に天武天皇がいた。
即位以前の天智天皇すなわち中大兄皇子は、中央集権国家をめざし中臣鎌足らの協力を得て蘇我 蝦夷・入鹿を滅ぼした。これを。乙巳の変という。孝徳天皇のもとで皇太子となった中大兄皇子 は、中央の官制を整備し、公地公民制への移行をめざしたとされる。孝徳天皇の没後、斉明天皇 の治世を経て、東アジアの国際秩序の変動に対応するため、都を近江大津宮に移し、即位して天 皇となった。天智天皇崩御後、皇位継承をめぐる争いに勝った弟の大海人皇子は、飛島で即位 した。天武天皇である。内乱によって中央の有力豪族が権力を失ったのに乗じて、天武天皇は 自らを中心とした中央集権国家体制の構築に邁進した。
【設問】 1.空欄に該当するものとして、正しいものを下記より選びなさい。 「ア, 持統天皇 イ, 元明天皇
元正天皇 エ、皇極天皇
2. 下線部に関連して、『日本書紀』の改新の詔に書かれていないものを下記より選びなさい。 ア. 私有地である田荘や私有民である部曲を廃止する。 イ. 戸籍・計帳・班田収授法を定める。 ウ、昔の天皇が立てた子代の民や屯倉を廃止する。 エ,中央に太政官神祇官を置く。
イウ
3.下線部に関して、天武天皇とその後継の天皇の施策でないものを下記より選びなさい。 ア, 八色の姓を定めた。
イ、庚午年籍を作成した。 ウ,銭貨の鋳造を行った。
, 飛鳥浄御原令を施行した。
B. 足利尊氏は父足利貞氏と母上杉清子との間に生まれた子で、同父母の弟に直義がいる。尊氏は
後醍醐天皇方の軍勢を討伐するため幕府の大軍を率いて上洛したが、やがて幕府に叛旗をひるが えし、「Oを滅ぼした。後醍露天皇による新数の混乱が続くなかで、尊氏は再び裁旗を ひるがえし、持明院続による北朝を擁立し、最終的に後醍醐天皇を吉野に送って、自らは征夷 大将軍に任じられた。尊氏の勢力の背景には武力によって所領の拡大をねらう新興勢力がおり、 その中心は尊氏の執事である高師直であった。これと対立したのが、尊氏の弟直義である。仏教 信仰や法秩序を重んじる直義の立場は、新興勢力とは相容れないもので、対立は武力衝突に発展 した。これを口の擾乱という。尊氏・直義兄弟間の対立は直義毒殺という悲劇で終わっ たとされる。
【設 間 4.空欄のに該当する機関の説明として、正しいものを下記より選びなさい。なお、すべて誤りの場
合は、「エ」をマークしなさい。 ア, もとは後鳥羽上皇の動きを監視するために設置されたものである。
イ, 西国の統括などを任務とした。 ウ, 鎮西探題と同時期に設置された。
5. 下線部に関して、誤っているものを下記より選びなさい。 7. 中央には記録所や雑訴決断所などを設置した。 イ, 諸国には守護と国司を併置した。 ウ、地方に陸奥将軍府鎌倉将軍府を置いた。 エ, 施政方針として建武式目を公布した。
6.下線部に関して、京都を制圧した尊氏が擁立した天皇を下記より選びなさい。 7. 光厳天皇 イ, 花園天皇 ウ、光明天皇 エ、後宇多天皇
7.空欄のに該当する元号を下記より選びなさい。 ア, 建武
イ、文和
C.
徳富蘇峰文久三年(1863)に生まれ、明治から昭和を生きた思想家・ジャーナリストであり、 弟に小説家の徳富蘆花がいる。蘇峰は明治期の国権論に対して平民的欧化主義をとなえ,。近代 的民族主義をとなえる三宅雪嶺らと論争を繰り広げた。この時期に蘇峰は民友社をひきいて雑誌 『国民之友』や『国民新聞』を創刊している。しかし蘇峰は日清戦争の開戦と同時に、対外膨張 論に転じた。蘇峰の弟である徳富蘆花は、人道主義に立つ社会小説を発表した。『国民新聞』に 掲載された意花の口は後にベストセラーとなった。兄弟の立場の違いが鮮明になると、 麓花は『告別の辞」を書いて蘇峰と絶縁するにいたった。
【設問】 8. 下線部のについて、これを主張した人物として誤っているものを下記より選びなさい。なお、該
当するものがない場合は、「エ」をマークしなさい。 ア, 高峰譲吉 イ,志賀重昂ウ、陸弱南
9. 下線部のに関して、日本主義をとなえた作家を下記より選びなさい。 ア. 高山構生 イ, 長塚節 ウ、泉鏡花 , 正岡子規
10. 空欄0に該当するものを下記より選びなさい。
ア. 『暗夜行路 イ. 『田舎教師 ウ.『破戒』
エ,『不如帰

 


「V] 次の文章A・Bを読んで設問に答えなさい。もっとも適当な選択肢を一つマークしなさい。
A.
明治政府が主導した 文明開化の風潮は、芸術にも大きな変化をもたらした。西洋美術の教育 や活動を行なうために、専門的な学校や組織が設置された。一方で、維新以後軽視された伝統的 な芸術の復興を図られ、日本画や彫刻などの美術界をはじめ、演劇界にも新たな風が吹いた。 また 文学界でも近代文学が形成された。
1. 下線部aについて、その象徴的出来事が年代順に正しくならんでいるものを下記より選びな
ア, 東京・横浜間の電信線架設 → 新橋・横浜間の鉄道開通 → 鹿鳴館の建設 イ, 新橋・横浜間の鉄道開通 → 東京・横浜間の電信線架設 → 鹿鳴館の建設 ウ, 新橋・横浜間の鉄道開通 → 鹿鳴館の建設 → 東京・横浜間の電信線架設 エ, 東京・横浜間の電信線築設 → 鹿鳴館の建設 → 新橋・横浜間の鉄道開通
2.下線部bの説明として、誤っているものを下記より選びなさい。なお、すべて正しい場合は「エ」
をマークしなさい。 ア. 浅井忠は、日本初の西洋美術団体の明治美術会を結成した。 イ、フランスから帰国した黒田清輝は、白馬会を組織した。 「ウ、岡倉天心は、フェノロサと協力して、西洋美術教育の拠点として工部美術学校を設立した。
3. 下線部cの説明として、正しいものを下記より選びなさい。なお、すべて誤っている場合は「エ」
をマークしなさい。 ア, 東京美術学校には岡倉天心に認められた橋本雅邦らが集い、日本画に革新をもたらした。 イ、岡倉天心が設立した日本美術院には、横山大観藤島武二などの優れた日本画家が集まった。 ウ, 彫刻の分野では伝統的な木彫の萩原守衛と、西洋流の影盟を制作した高村光雲が対立・競合し 「ながら文展で共存した。
4. 下線部品の説明として、正しいものを下記より選びなさい。なお、すべて誤っている場合は「エ」
をマークしなさい。 ア. 河竹黙阿弥は、文明開化の風俗を取り入れた新派割を発表した。 イ.9代目市川団十郎・5代目尾上菊五郎・初代坂田藤十郎の名優が出て、明治中期には歌舞伎の
黄金期が訪れた。 ウ、西洋の近代劇を翻訳・上演した小山内薫の文芸協会は、新劇を上演した。
5.下線部eに関する説明として、正しいものを下記より選びなさい。 ア、勧善懲悪主義の戯作を書いた坪内逍遙は、西洋の文芸理論を批判した。 イ. 二葉亭四迷の『浮雲』は、写実主義の作品であり、言文一致体で書かれた。 ウ、自然主義の影響を受けた樋口一葉は、『たけくらべ』で近代女性の悲哀を描いた。 エ, 自然主義石川啄木は、晩年ロマン主義に転向して雑誌『明星』の誌上で活躍した。
B.
大正デモクラシーとよばれる新しい民主主義の時代を迎えると、市民生活も様変わりした。 「マス=メディアの発達や工業化にともなう 都市化などによって、労働者やサラリーマンなど の一般勤労者を担い手とする大衆文化が誕生した。 学問の分野でも新しい傾向が生まれ、教育 熱の高まりや資本主義の発達による人材養成のために、教育機関の拡充がはかられた。
【設問】 6.下線部fの説明として、正しいものを下記より選びなさい。 ア, 日露戦争後から米騒動にいたる時代に、参政権をもたない群衆が政治や経済への不満を表明し
たことがデモクラシーの発展をうながした。 イ, 大正デモクラシーは、立憲政友会犬養毅立憲国民党尾崎行雄らが先頭に立った第一次護
憲運動から始まった。 ウ, 吉野作造が提唱する民本主義は、デモクラシーの訳語であり、国民主権としての民主主義を意
味した。 エ、美濃部達吉は、神聖不可侵の天皇こそ統治権の主体であるという天皇機関説を主張した。
7, 下線部gの説明として正しいものを下記より選びなさい。なお、すべて誤っている場合は「エ」
をマークしなさい。 ア. 新聞の発行部数が、大正初期に100万部を超える有力紙も現れた。 イ、大正末期にラジオ放送がはじまり、満州事変の年には受信契約者が100万人を超えた。 ウ、総合雑誌は、明治時代に「文藝春秋』などが創刊され、明治末期になって『太陽』や『中央公
論』が創刊された。
8. 下線部hに関連して、大正・昭和初期の都市文化に関する説明として誤っているものを下記より
選びなさい。 ア, 大都市では電話交換手やタイピストなどの仕事をもつ女性が増え、職業婦人と呼ばれた。 イ、都心や郊外電車のターミナルにはデパートがつくられるようになった。 ウ, 関東大震災後に都市計画法が制定され、都市改造がはじまった。 エ, 繁華街ではモボやモガと呼ばれる当世風の男女が固歩するようになった。
9.下線部1の説明として、誤っているものを下記より選びなさい。 ア, 西田幾多郎は、『善の研究』で西洋と東洋の哲学を融合した独自の哲学を打ち立てた。 イ.野呂栄太郎は、マルクス主義経済学の立場から「貧乏物語』を著したために逮捕された。 ウ、津田左右吉は、『古事記』や『日本書紀』に歴史的事実ではない記述があることを論証した。 エ、柳田国男は、民間伝承の調査・研究を通じて民俗学の基礎をきずいた。
10. 下線部」について、正しい説明を下記より選びなさい。なお、すべて誤っている場合は「エ」を
マークしなさい。 ア, 大学令が公布され、単科大学や公立・私立大学の設立が認められた。 イ, 尋常小学校の義務教育が4年間から6年間に延長された。 ウ, 学校教育法が制定され、6・3・3・4制が実施された。